那須高原へプチ旅行してきた話
結婚する前かな。
今の旦那と那須方面へ旅行へ行ってきたんですよ。
いつもは天気に恵まれるお天気夫婦の二人なんですが、その日は朝からどんよりでね……
37.0。
絶妙な微熱を出した旦那(当時は彼氏)が迎えに来た。
この日は那須高原へプチ旅行へ行く約束をしていたのだ。
どうやらこの旦那、前日に飲み会か何かをして夜更かしして、風邪引いてきたようだ。
今も粗忽者の旦那だが、同時は今より若い分より一層粗忽者で、もうなんというか。
粗忽者の極み。
といったところだろうか。
それでも、日帰りだから大丈夫だと車を走らせる旦那。
「お前は大丈夫だろうが、こっちは色々な意味で心配だよ」と苦虫をつぶしたような顔をした私は助手席であんパンをかじる。
二人で旅行するときは決まって晴天なのだが、この日は旦那の不調もあってかパラパラと時折雨が降る始末。
それでも車から降りると雨がぴたりとやんでくれるので、貴船神社(雨乞いの神)の天敵のような私はありがたく旅行を楽しむことにした。旦那の顔色は悪いけど。
向かったのは「那須高原賽の河原」
20代前半の女が興味持って行くようなところじゃないだろうが、当時から自分の猟奇性を隠すことなくつきあってきたのだから褒められたものであろう。
この那須高原賽の河原は那須岳の丘陵が湯本温泉街の近くの河原。
岩がゴロゴロしており、ちょっとだけやっぱり硫黄のにおいが気になるところ。
賽の河原と言われるだけあって、殺生石と呼ばれる石の塊があったりします。
九尾の狐の伝説が残るこの地だが、私としては夢に見そうな賽の河原っぷりがたまらない。
電気も何もない昔、こんな風景のところに出たらそりゃ「ああ、俺死んだわ」って思ってもおかしくはないだろう。
その後、温泉神社と言う湯屋のライバル店のような神社へ向かい、足湯につかる。
旦那の体温が熱く感じるのは恐らく足湯で暖まったからではなく、ウイルス的な何かが原因名ような気がする。
だが、神社で足湯というなんともありがたい熱をいただいたあとは、那須の南が丘牧場へ。
この南が丘牧場、素晴らしいことに、入場料は無料。駐車場代すらとらないという。
もちろん動物たちと戯れるも自由
ニジマスを釣り堀で捕って焼いて食うも自由(これは有料)ということで、早速ニジマスをつることに。
ちなみに、暖かい時期は子ども限定でニジマスのつかみ取りをすることもできるとのこと。むしろそっちをやってみたい。
このニジマスの釣り堀。えさと竿を200円ほどでもらってつりをするのだが、入れ食いでたやすく釣れる。
たやすく連れるからと言っても1匹食えばもう十分なので、ビクビクと動くその生命を釣り場の隣にいるおっさんに渡すと、さくさくと腸を抜き、目玉に串を刺し、塩を振って生命をありがたい食料に変えてくれる。
生きるというものは、かくもめまぐるしいものだ。
めまぐるしいついでに、焼かれるニジマスを眺めていたら奥の方に完全に焼かれて炭になりかけているニジマスを見つけた。
完全に顔がまっ黒になって、松崎しげるフェイスになっている。
生きものが食料になり、食料がゴミになっていくめまぐるしさ。もったいないと思ったものの、若干20歳の私に何ができようか。温泉の神も救うことはできず、きっとこのニジマスを釣って食い忘れた者は賽の河原を往復することになるのであろうと思うばかりである。
釣ったばかりのニジマスは炭火の良い香りがし、最上に美味い食料であったことをここに付け加えておく。
そして結婚も視野に入れていた我々はもののついでに近くにあった教会へ行くものの、私は満腹で、旦那は風邪により睡魔に襲われ、賛美歌を子守歌に爆睡。
写真は残っているものの、今となってはいったいどこの教会へ行ったかすら覚えていないザマだ。
やはり私もどちらかというと、賽の河原よりの人間なのだろう。
こうして那須へのプチ旅行は幕を閉ざしたが、帰りの渋滞で旦那が居眠りをし始め、人生の幕を閉ざされそうになったということは、今となってはいい……思い出にもならない。